1998/10/3(土)[17w2d] 安産祈願

人は失敗すると臆病或いは慎重になるものであるが、他人が失敗した場合には著しく信用を失うものなのである。
さて、妊娠5ヶ月目といえば戌の日である。戌の日といえば腹帯なのである。 因みに戌の日とは犬が安産であることにあやかって、安産を願って腹帯を巻く日のことである。
でもって、その腹帯であるが、安産祈願をする時には一緒に御祓いをしてもらうものらしいのである。
長崎には安産祈願を得意分野とする寺社があるそうな。昨年、妊娠状態にあった私は義母とよーいちろーと共にその寺社へ出かけたのだった。で、腹帯・お守り・護符からなる安産セットを購入し、御祓いだか祈祷だかをしてもらったのであった。
結局、その時の腹帯は使わず仕舞だったのでまだ持っている。私としてはあるものは又使えばいいだろうと思っていた。
ところが義母は絶対駄目だと言うのだ。
おまけに頑として安産祈願も去年のところには行くなという。
どうやら義母はその寺社を逆恨みしている様なのであった。曰く、文句を言ってやりたくて仕方がない、と。そんな事いったって別に、流産したのは安産祈願の所為ではあるまいに。寺も災難である。
そんな事言ったら、太宰府天満宮なんて大変だぞ。とっくの昔に焼き討ちに遭ってるんじゃなかろうか。
まあでも、結局のところは、義母の意向を尊重して去年とは違う神社に安産祈願に行ったのだった。お祓いはしなかったけど。


1998/10/6(火)[17w5d] 戌の日

本日は戌の日である。要するに腹帯を巻く日である。
この場合の腹帯というとサラシの布で、それを腹に巻きつけてお祝いするらしいのである。でも、今時の腹帯は腹巻きやガードルのような、特に教えてもらわなくても着用できるものが山ほど売られている。でもって、売り場の人からは「3ヶ月頃からつけた方がいいですよ」なんていうアドバイスをもらったりするのだ。
であるから、戌の日に腹帯を巻いて..なんてことをわざわざする必要は全然ないように思うのである。思うのであるが、古くからの習慣でもあるようなので一応儀式としてやっておくのであった。長いものにはまかれろというではないか。
そういう訳で、定期検診ついでに巻き方を習いに病院に行ってきた。胎児の無事と成長を確認。おまけに母体の成長(肥大か?)まで確認してしまった。順調なようである。ついでにエコーで股の部分を見せられ、「ほら、わかるでしょ」と性別まで教えてもらってしまった。後の楽しみにしたかった気もするのだが。あっけないものである。
腹帯についてはただ巻いただけ。病院によっては医者が腹帯に「寿」などと書いてくれたりもするそうなのだが、特になし。巻いて3時間後にはもう外してしまった。私にとっては感動も感慨も何もなく、「腹帯って長いなあ」という感想だけが残ったのだった。


1998/10/12(月)[18w4d] 服がない

困った。着られる服がなくなっていく。
ウエストがぴったりした服は既に全滅である。短めのスカートなんざ、腹が出た分せりあがってくるから見られたもんじゃない。ウエストのボタンを外して上にカーディガンを羽織ってごまかしたりもしているが居心地が悪い。以前は確かもうふた回りくらい大きくなっても大丈夫な感じだったスカートが、きつい。3回り大きくなったということか?さすがにスウェットスーツ着て会社行くわけにもいかんしな。
とにかく、結構由々しき事態だ。
最後の手段はマタニティウエアしかなかろう。
ところで、このように布袋さんばりの腹をしている訳だが、周囲には気づかれないものである。他人の腹なんか気にしちゃいないものなんだろうか。いや案外、「最近随分太ったなあ」などと思われていて可哀相で言えずにいるだけかもしれん。
今更わざわざ言うのもなんなので、もう気づかれる迄放っておくことにしている。一体いつ気づかれるものなのかと興味津々なのだった。


1998/10/18(日)[19w3d] 胎教

家にある妊娠本によると、5ヶ月頃から胎児の耳は聞こえてるんだそうな。こやつは息もしてないくせに耳は聞こえるというのだ生意気に。関係ないか。
更にその本には「胎教スケジュール」なんぞというページが設けられており、「こんな感じで過ごすとよろしくってよ。オホホホホ」的なことが書いてあるわけなのだった。まぁそれは良い。
それには腹への話し掛けの例なんてものが載っているのだ。

    例その1:「小さな宇宙飛行士さん。お腹の中でぐるぐる回ってるんでしょ。」
    例その2:「おやすみなさい。夢の中でママとワルツを踊ろうか。」
......。世の中の妊婦ってのは本気でそんな台詞を恥ずかしくもなく喋っているのだろうか。自分の腹に向かって?考えただけで赤面してしまう私の修行が足らないのか。お経を唱えろと言われたほうがまだましだ。
でもやっぱり「胎教に良いこと」はした方がいいのかなあ。話し掛けるとかクラシック音楽を聴くとか。最近は、猟奇殺人が出てくるミステリーなんぞを好んで読んでたりするんだが、これは胎教にはよろしくなかったりするんだろうか。やっぱり、状況を想像してのた打ち回ってるってのはまずいよなあ。


1998/10/22(木)[20w0d] 蠢く腹

産婦人科がくれた「妊娠カレンダー」なるものには18週の主なイベントとして「胎動」と記述されているのであった。これは結構罪作りである。おっかなびっくりの私としては18週に入った途端に心配ネタが増えてしまった。
それでも何とか腹が動く日がやってきたのだった。しかし、実に頼りない。「ぷくん」というか、「ぽこ」というか「うにゃうにゃ」というかそんな感じ。おまけに周囲に確認しようったって不可能。仕方がないので殆ど自分の思い込みである。
ま、腸が動く感じとは違うような気がするのできっと胎動だろう。
こうして蠢く腹を抱えて約10日。こいつさえ分かれば要らぬ心配はなくなるぜ、という思惑は大きく外れるのである。
動くのがわかるまでは、動かなかったらどうしようと心配をしていたのだが、動いたら動いたで、今度はしばらく動かないと心配をしなきゃならなくなったのだ。
これがまた、実に気まぐれに動くのだ。腹の中には昼も夜もないだろうから規則正しい生活をしろといっても無駄であろうが、それにしても法則性がない。なまじっか活発に動いた後など、その分動かない時間の不安が増大する。おまけにまだそれ程強くは感じないから腸の蠕動だと思えばそういう気もする。
そんな処に腹がズキっと痛んだ日にはもう仕事どころではなく、半日悶々とした末に病院に駆け込む事になるのであった。幸い結果はどこにも異常は見られず、胎児は着々と大きくなっていた。
医者曰く無理をしたかストレスであろうとのこと。
うーむ。腹を気にするあまり、自分でストレスの拡大再生産をしちゃったんだな、きっと。
私の安寧の日々はまだ遠い。


1998/10/27(火)[20w5d] 夢

こんな夢を見た。
私はいつの間にやら赤ん坊を産んだらしいのだった。そこは病院の筈なのだが一見すると美術館のようで、絵やら彫刻やらが展示してあったりする。病室も特に見当たらない。
で、赤ん坊を受け取って帰ろうとすると、妙に大きいのだ。首もとうに据わっているし、どうも生後3ヶ月位にはなっていそうである。変だなあ、これは私が産んだんじゃないよなあ、取り違えられてるんじゃないかなあと思いながらも連れて帰るのであった。
それから赤ん坊連れの親子ばかり20組くらいが集まってどこかへ出かける。赤ん坊は乗り物の中に並べて寝かされている。私はずっと、やっぱりでかいよなー変だよなーと思いつづけている。
こんな夢も見た。
どこかの建物の中。階数が高いのか割と眺めが良い。そこでおくるみにくるんだ赤ん坊を抱いている。まだ首が据わっておらず、落っことしそうになったりしてなかなか危なっかしい。そうしていると赤ん坊が4・5歳の子供の口調で喋り始める。ペチャクチャとなんだかんだ喋る。自分が赤ん坊であるという自覚がないらしい。

さてさて夢判断の結果は如何に?


1998/10/30(金)[21w2d] 働く妊婦

私が勤める事業所には女性が9名おり、内3人が既婚者である。さて、この度既婚女性の妊娠率が100%になってしまったらしい。めでたいことである。
私が妊娠していることは既に周知の事実で暗黙の了解であったらしい。案の定、腹を見て気づいてはいたのだが、違っていたら気まずいから言わなかったのだそうな。世の中の人々の観察眼をを見くびっていた私であった。
確かに腹は日の出の勢いと言おうか、日進月歩といおうか、飛ぶ鳥を落とす勢いといおうか、とにかく大きくなりつづけている。気分は牛の真似をしている蛙である。破裂しないように気をつけたい。
身体感覚も狂いつつあるようで、先日もホワイトボードと冷蔵庫の間をすり抜けようとした処、腹がぶつかってしまった。


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