1999/3/1(月)[38w4d] 水の泡

「そんなに身軽じゃあ、まだまだじゃないのぉ。」とよーいちろーは言うのだ。
いや、しかし私の予定は今週なのだ。その為に毎日、医者の言う通り散歩もしている。真面目に40分〜1時間は歩いてる。きっともうそろそろ下がってきてる筈だ。いつ産まれてもおかしくない程度になってたりすると良いなあ。
そんな風に気合を込めて検診に出掛けたのであった。
が、結果は惨敗であった。子宮口は固く閉じており、位置は-2cm。要するに状況は全く前回と変わっていないのであった。
あまつさえ、「来週様子を見て状況が変わらないようだったら、子宮口を柔らかくする薬を考えましょう。」と医者に言われたのである。
本に書かれた「子宮口が固くても陣痛が始まる事があります」「何の兆候もなくいきなり10分間隔で陣痛が始まりました」という文章を心の励みにするのであった。


1999/3/3(水)[38w6d] 気分転換

人間はやっぱり努力に対する報酬を望むものなのである。1週間あまりの努力が水泡と帰した今となっては俄然やる気がなくなっている。
どれだけ歩いたって出て来ないものは出てこないのよ、と自暴自棄になったりしてるのである。
放っておいても時がくれば出てくるさ、と開き直ったりもしてるのである。
そんな訳で、昨日の散歩は速度も時間も4割減。それでも一応散歩に出掛ける当たりに一縷の望みを託している風情が感じられるのではあった。
今日は気分転換に街中に出掛けてみた。
やっぱり出てくる気配は全く無しである。


1999/3/7(日)[39w3d] 諦める

ふと気がつけば予定日の4日前なのである。
すっかりなくなった気合をもう一回入れなおして、昨日は散歩をしてみたりもしたけど、今日は天気も悪かったから家でごろごろ。動いた方が良い事は重々承知なのだが。
何と言うか、全然出てくる気がしない。実は予定日を間違えてて1ヶ月先なんではなかろうか、とか、ずっとこのまま妊婦で一生を過ごすんでなかろうかとまで思えてしまうのである。
まあ、まだ予定日前って言ってしまえばその通りだし、初産は遅れるとも言うし、こんなもんなのかもしれない。
自分の思うようにはいかないものさね。
気長に待つとするか。


1999/3/8(月)[39w4d] 1cmの前進

義母が親戚と電話をしていた。腹の話らしい。「まだ産まれてないのよ〜。元気にしとるとよ〜。」
実家の母親と電話で話した。産まれてないと知ると、「あら、まだ元気なん。」
その、まだ産んでない状態を「元気」と称するのは一般的なものなのだろうか。じゃあ何かい、出産後の私はどうにかなってしまっとるんかい、とひねくれる私は結構ナーバスになってるのであろう。
しかし、出産経験者が二人してそういう表現をするのだから、実際出産後は息も絶え絶えなのかもしれぬ。
相変わらず「元気」な私なのであった。
検診に行った。取り敢えず-1cmになったのだから1cmは前進した訳である。が、子宮口は未だ固いとかで、子宮口を柔らかくする薬とやらを入れられたのであった。
これで怒涛の追い込みか、と思いきや。
「じゃ、次は予定日に見せに来て。」
なんだ、別にすぐさま陣痛が始まるってもんでもないらしい。
「薬を入れたからお腹が張りやすいと思うけど、気にせずちゃんと散歩と雑巾がけをするように。」
しかも、やっぱり散歩はするのか。おまけに運動が一個増えてるし。
「雑巾がけをすると、胎児の方向が変わるから」
どうも、胎児は前を向いているらしいのである。出てくるには後ろを向いているほうが良いのだそうで。
楽ができるわけではないのか。


1999/3/10(水)[39w6d] 予定日前夜

明日は予定日なのである。
今となっては「そのうち出てくるだろう」という境地に至らざるを得ず、日々まな板の上の鯉という気分で過ごしているのだった。
それにしても、変化が感じられない。
腹が下がる?胃のあたりがスッキリする?腹が張る?胎動が少なくなる?....自覚症状は何もなし。
1時間の散歩も楽々こなしてしまう元気な妊婦なのであった。


1999/3/11(木)[40w0d] 固い女

案の定であった。
薬の効果はなかったらしい。
「ちょっとやそっとじゃビクともしない、珍しいほど固い子宮口を持った女」というお墨付きをもらったのだった。身体は柔らかい方だと自負していたのだが、また妙なところが固かったものである。腹の中身がいくら出ようと頑張ったところで、出口が開かなきゃ出てこられまい。
やっぱり、1週間は遅れるだろうとの事である。
本日は人と会う約束が多く、会う人毎に「今日が予定日なんですよ〜」「まだまだです〜」と言っていた1日であった。しかし、予定日に人と会う約束をする辺りがもう既に産むのを諦めてるような気がしないでもない。
さあて、あと1週間はありそうだから、看護婦さんに勧められた瞑想でもしてみようか。


1999/3/14(日)[40w3d] 犬も歩けば棒に当たる

「23日に行くから」実家から連絡があった。両親は生まれた頃を見計らってやって来ようとしているのである。いくらなんでも生まれているだろうという計算らしいが、最近の私はかなり懐疑的である。
一向に産気づく気配のない予定日過ぎの妊婦は医者に言われた通り毎日散歩を続けるのであった。
元より散歩好きである。いきおい、今日はあっちの海へ明日はそっちの山へってな感じで歩き回っているのであった。大体2時間くらいは出歩いているだろうか。
結構辺鄙なところに行ったりするので、もしここで陣痛が始まったら困るよなあと他人事の様に思いながら歩いているのであった。実際そうなったら大変だと思うのだが、全然気にならないところを見るとそうなる訳がないと思いこんでいるようである。根拠は何もない。
まさかとは思うが、歩きすぎると産まれないなんてことはないよな、と不安に思ったりもする今日この頃である。


1999/3/16(火)[40w5d] こじあける

予定日を5日過ぎての検診である。
腹の中身はすっかり育って3592g。もう充分過ぎるほどでかい。がしかし、相変わらず子宮口は固いらしいのであった。我が事ながら、随分強情なのである。
医者は「何とかこの週末辺りで陣痛が来るようにしたいですねえ。」と言って、強情な子宮口を無理矢理指1本分くらいこじ開けたのであった。
知り合いの経産婦は「子宮口を刺激されたらいきなり陣痛がきた」とのたまっていたので期待してみたが、やっぱりそれらしい症状はなし。少し腹が張るような感じはあるが、それだけ。
朗報と言えば、いつの間にやら足が伸びたらしく「足が長いねー」といわれた事くらいか。


1999/3/17(水)[40w6d] ラストスパート

「陣痛を起こそう大作戦」2日目ってことで病院に出かけた。
今日も子宮口を刺激したのであった。強情な子宮口は昨日こじ開けられた状態のままだそうである。まあ、閉まってなかっただけマシってとこか。
と、医者が「なかなか良い感じですねえ。この分だとそろそろくるかな〜。」とのたまう。
え?え?いよいよ?色めきたつ私であった。
「あ、でも今日明日じゃなくて今週末くらいね。」
な〜んだ。


1999/3/18(木)[41w0d] いよいよ?

春の日差しの中、毎日散歩をしていたらすっかり日焼けしてしまった。かなり健康的な妊婦である。
その甲斐あってか、薬がやっと効いてきたか、本日の診察の結果は良好であった。
「いいぞー。やっと、お産をする人の感じになってきたなあ。」とは医者の弁。
子宮口もわずかながら開いてきたし、胎児の位置も下がってきたらしい。
「今晩来ても不思議じゃないよ。」との事である。
いよいよ、なのであろうか。そう思うと、何かやり残した事があるような気がしなくもない。
ところで、昼過ぎから時々感じている腰にずーんと来るような鈍い痛みはもしかしたら陣痛だったりするのだろうか。


1999/3/19(金)[41w1d] 陣痛もどき

0:05、0:15、0:23、0:31、0:41、0:53、1:01....。痛みの間隔を測っていたら何だか10分間隔なのである。どうしたものかと思ったのだが、取り敢えず病院に連絡を入れることにした。
来いというので、真夜中に土砂降りだというのに病院へと向かったのだった。
診察の結果は「まだ」の模様であったが、このまま陣痛になる場合もあるというので朝まで様子見と相成った。結局、何分かおきに陣痛もどきは来るものの、痛みが強くなる事もなく、朝にはその陣痛もどきまで消え去っていったのであった。
そんなこんなで、今日も元気に散歩をして過ごすことになってしまった。
それでもって、夕方から又10分から15分毎に痛みがやって来たりしてるのである。さて、どうしたものか。


1999/3/21(日)[41w3d] ついに

土曜日の診察で胎児の心拍に不審な点があるとかで入院し、そのまま日曜の朝となった。。
で、木曜金曜に続けて10分間隔の陣痛が一晩続いて朝になると遠のく、というパターンが繰り返されたのであった。胎児の心拍については問題ない程度と診断されたものの、気分は憂鬱である。今晩も又、同じことを繰り返すのだろうか。痛みだけはパワーアップしてるのだ。結構耐え難くなってきている。一晩中腰をさすってくれた看護婦さんには感謝感激雨あられである。因みに付き添っていた風邪ひきのよーいちろーは傍の簡易ベッドで眠っていたのであった。
かなりくたびれた気持ちで診察を受けたのが10時ごろ。と、いきなり破水。
それからは大変である。痛みの間隔はいきなり狭まり、痛みの度合いは倍増。なんじゃこりゃってなもんである。
私は浅墓にも陣痛と言うと腹が痛くなると思っていたのだが、大間違いなのである。腰である。腰。腰をつんざく痛み及び全身を襲うだるさ、これはもう只者ではありませぬ。襲い来る痛みの中で世の中の母親というものを尊敬した私でございました。
さて、腰の痛みに耐えているとその内にやって来るのが「いきみ」って奴である。腹の中身を出そうとするのである。こうなると、もう呼吸も黙ってはできなくなってきて「う〜」とか「はう〜」とか大騒ぎである。
ところで、一旦家に帰って休んでいたよーいちろーは私がいきみ始めたあたりでやってきたのであった。以前から「立会いだけは勘弁してくれ。世の中には知らなくてよいこともあるのだ。」と明言していた人である。しばらく横に付き添っていたものの、「折角だから最後までいたらどうです?」という看護婦さんの言葉も取り合わず、「じゃ、逃げ出すね。頑張ってね。」という優しい言葉を残して去っていったのであった。
胎児の頭が見えてくると後は出すだけといった雰囲気となり、痛みもなくなる。時折やって来るいきみで押し出そうとするばかりである。従って結構余裕がある。「そんな狭いところから出ることもあるまいに」とのんびり考えていたのであった。
そんなこんなで、出てきたのが13時12分。推定よりは随分小さく3254gの男児であった。楽だったのかどうかは比較できないからわからないが、医者にはなかなか上手であったと誉められたのだった。
それにしても、腹の中身は出した筈なのにまだ5ヶ月程度の妊娠状態なのであった。ああこれが贅肉なのねという風にぶよぶよしている。元からない腹筋はすっかり退化してしまったようである。


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