1999/2/3(水)[34w6d] 名前

よーいちろーが「赤ちゃんの名付け辞典」とか言う本を借りてきた。
一体どうした事かと思ったら「真面目に考えてるという態度を母に見せる為」だそうな。
この手の本は本屋に行くと案外多いもので、しかもかなり良い値段だったりする。内容はかなり笑えるので、我々は買う気はさらさらなかったのだ。
いろいろ名前の付け方で分類してあるのである。「春にちなんだ名前」「自然をイメージした名前」「頭の良い子になって欲しいという願いを込めた名前」「古風な名前」「漢字一文字の名前」等等等等。
これだけ沢山の名前を考えたり集めたりするのは、まあ、大変だったろう。それを認めるのにやぶさかではない。が、しかし。
「外国語にちなんだ名前」で、sea route==>「詩留土(しると)」、town==>「多運(たうん)」ってのはどうかと思うぞ。
「物静かな子どもに...」で「幽(ゆう)」ってのも如何なものか。しかも巻末の「名前につけるとよくない漢字」って処に「幽」って載せてるし。
まったくもって愉快に過ごせる本なのであった。
それにしても、名前はどうしたものか。


1999/2/8(月)[35w4d] ボトルシップ

どうした事か、今日は妙に腹が張る。異様に張る。ほんの数十歩歩いただけで、カチンコチンである。ただ単に座って仕事してるだけなのに、張っている。
ついこの間までは、ずーっとこのままでも一向に構わんと思っていたのだが、前言は撤回する事にしたい。そろそろ日常生活に支障をきたしそうである。歩き回ると張るから動きは鈍くなってくるし、仰向けになったが最後、ひっくり返ったカメのような醜態をさらすことになるし。
そんな私の腹を見て、よーいちろーは「でっけぇ腹!」と指を差して嗤うのであった。
ま、確かにでかい。腹って伸びるんだなあ、と感心するくらいである。でもって、中には3kg程度の生き物が入っている訳だ。
あと約1ヶ月後には出て来るんだよなあ。
気分はボトルシップである。


1999/2/10(水)[35w6d] 現金

昨日、検診の為病院に行ってきた。
腹が張ってしょうがないと医者に訴えてみる。
「そうでしょう。もうそろそろどんどん張った方がいいんですよ。」
へ。なんだ、そうなのか。ちょっと気が抜ける。
腹の中身は相変わらず大きい。推定体重は既に2944g。でもって、まだまだ生まれる気配はない。子宮の位置は-2cmなんだそうな。
このままでいくと予定日を過ぎるであろう。その時には3700〜3800gになるであろうと医者は予言するのであった。
3.8kg。うげ、それは大変そうだ。
「散歩をしましょう。早足散歩ね。で、早く出した方が良いよ。」
成る程。丁度産休に入る処だ。歩くのは苦にならない。散歩三昧の日々を送る事にしよう。
急に動きが軽快になるのであった。私が現金な奴である事は認めねばなるまい。
会社で胎児がでかいらしいという話をしたら、「助産婦さんがお腹の上に乗って押し出すんだよ〜」なんて脅されてしまった。......散歩しよ。


1999/2/14(日)[36w3d] 母来たる

金曜日、産休に入るのを見計らったように金沢から母親がやってきた。
初孫を待つ人というのは恐ろしい。娘の単なるでかっ腹を見て「可愛い、可愛い」と言い放つのである。一体彼女の目には何が見えているというのだろうか。
「孫が金沢まで1人で来られるようになるのはまだまだ先だねえ」と母親が言うので、ちょっと仏心を出して言ってみた。
「でも長崎−富山便があるから、それだったら空港まで迎えに行けばかなり小さくても大丈夫なんじゃない。」
「!!そっかあ。楽しみやねえ。」
言葉尻にはハートマークがついているのである。孫さえいれば娘はもうどうでも良いらしいのであった。じじばばなんて、そんなものであろう。
おまけに実家にはすでに大きな馬のぬいぐるみがある事も判明したのであった。まだ生まれもしない、産まれても実家に連れて行くのなんてまだまだ先の話だ、それなのに馬のぬいぐるみ!ああ、先が思いやられる。
ちなみに父親は産まれてから来る予定である。が、先日電話で話をした時には「そうやなあ。考えとくか。」と結構つれない言動をしていたのであった。母親に聞いてみると、
「『長崎に行くんなら、やまなみハイウェイに行きたいなあ。長崎は別にどうでもいいけど。』と言っていた。」との事。どうやら、父親は醒めているらしい。
と、
「でも、3月生まれってきいて喜んどるよ。」
実家では父親1人が3月生まれで、あとは皆10月生まれ。実は結構寂しかったのだろうか。気付いてやれなかった娘を許せ、父よ。
「あっち向いて、にま〜っと笑っとるね、あれは。」
人知れず盛り上がっているのかもしれない。


1999/2/15(月)[36w4d] 母帰る

母親は無事に帰り、後にはベビー用品が残されたのであった。
そもそも母親は、実家に帰ろうとしない薄情な娘の出産準備の為にやってきたのだ。
ベビー用品売り場の、妊婦とその夫とそれぞれの母親という4人連れは、店員には鴨が葱しょって鍋に入っているように見えたに違いない。ましてや母親は買い物するぞと言う気合に満ち満ちているのだ。
店員が「これが必要ですよ。これがいいですよ。」というものを、次々と籠の中にいれていくのだった。
買ってもらう身としてはそうそう文句もつけられないのだが、しかし放っておくと原色バリバリだの、ふりふりレースだの、そう言うものばかりを買いかねない。
「え〜だって、こっちの方が赤ちゃんらしくて可愛いじゃない。」
しかし、湯温計がくまさんだからって誰が嬉しいと言うのだ。綿毛布だって大人用のが余ってるんだから無理にそんな小さいものを買う必要もあるまい。
まあしかし、おかげで今まで何の準備もしていなかったのが、いきなり殆どのものがそろった事になる。
「冷たい飲み物を飲むと陣痛が大変だから、あんまり飲まないように。」という教訓を残して帰っていった母親であった。
そうか、ビールは駄目なんだな。今度からは熱燗にしよう。(冗談です。念の為。)


1999/2/17(水)[36w6d] 産休

今日は妙に暖かく春を思わせる陽気であった。実にのどかである。
それにしても、産前休暇というのはなかなか暇である。
何と言っても特別しなければならないことというものがないのだ。
ご飯食べるか、散歩するか、昼寝するか、天気が良ければ布団を干すか、そんな処。もうちょっと有意義な過ごし方があるのではないかと思わなくもないが、何せ根が怠け者なので困ったものである。
こんな事ならもう少し働いておけば良かったと思うのであった。しかし、これも嵐の前の静けさなのであろう。今のうちにのんびりしておくのだ。


1999/2/19(金)[37w1d] 歩行上手

病院に行ったら胎児監視装置とかいうものをつけられた。腹に2つ何やら機械を当てて胎児の心拍と陣痛の度合いを測るものらしい。狭い部屋でソファに座り、40分程機械の監視を受ける訳である。テレビには「心のリラクセイション」という環境ビデオが流される。
機械からは監視結果のグラフが吐き出されて行く。
そんな状態で20分もボーっとしてれば、眠るなと言うのが無理な注文であろう。当然のごとくうとうとしていたのであった。
眠っていたのが悪い訳でもあるまいが、どうも胎児心拍がうまく計測できなかったらしく、予定が15分ほど延長する事になった。どうやら、腹の中で動いている所為で監視装置の位置がずれてしまうらしい。非協力的な奴である。
さて、破竹の勢いで大きくなっていた胎児であるが、今回は殆ど成長していなかったのだった。推定体重3013g。もしかしたら成長してない事を心配しなければならないのかもしれないが、大きくなりすぎても困るし良い事にするのだ。
子宮の位置も全然変わっていないらしい。「これは大変だなあ」という医者のつぶやきが気にかかる。
と言う訳でまたもや「散歩を続けるように」という指令が下ったのであった。しかも「時速4kmで」という速度指定付き。
それは一体どのくらいのスピードなのかと尋ねたら、診察室の中で歩いてみろと言う。それで歩いて見せたところ、「おお、上手上手。」と誉められてしまった。
「歩くのが上手ですねえ。運動が得意でしょう。」と妙に感心されてしまったのであった。
帰り道は調子に乗って早足で帰った事は言うまでもない。


1999/2/20(土)[37w2d] 合言葉はひっひっふー

病院で行われるラマーズ講習というものに出かけた。私の頭の中ではラマーズ法と言えば「ひっひっふー」である。今日はその真髄を極めに行くのだと意気揚揚と出掛けたのであった。
ところが予想はあっさりと裏切られたのであった。
医者は言うのである。「無理にいきむ必要は全然ないんです。うんこする時にいきもうだなんて考えないでしょ。それと一緒。大事なのはリラックス。」とにかく「うんこと一緒」を強調する医者なのであった。
呼吸法も「ひっひっふー」ではなく、「ふぅーー」と只ゆっくり長く吐くだけ。何だか楽なのである。しかも、看護婦さんが腰をさすってくれるのがやたらと心地良い。
結局のところ、その時が来たら腹の中身が出てくるにまかせれば良いと。私はとにかく数時間なり十数時間なり痛みをやり過ごしていれば良いという事にしよう。ま、努力は苦手だし根性もないから、頑張らなくてもよさそうというのは非常にありがたい。
その後、病院内を見学。病室は全室個室ユニットバス付き、テレビも電話も冷蔵庫もついているという、殆どホテルのような部屋であった。最近の産婦人科はこういう処で差別化を図っているのであろう。


1999/2/24(水)[37w6d] 妊婦、峠を越える

あわよくば予定日より前にとっとと産んでしまいたい、と思っているのである。なのに、腹の中身はまだまだ出てくる気がないらしい。そんな訳で、医者に言われた通り毎日せっせと散歩をしているのであった。
ところで、家から繁華街までは車で約10kmの道のりである。その丁度真ん中に峠があってトンネルを通るようになっている。以前、トンネルを通って繁華街まで歩いた事はあったのだが、旧道で峠を越えたことはまだない。その内に、と思っているうち今日に至っている。産んでからしばらくはこんなとこまで歩けないだろう、と気にかかっていたのだ。
今日は暖かかった。朝降っていた雨も上がり、日が差してきた。で、お散歩日和と見た私は峠を目指す事にしたのだった。
流石に上りはきつかった。九十九折になった道を延々上ってふと見れば、眼下に上り始めの道が見える。直線距離にしたら10mも進んでない。うーむ、トンネルって偉大だ、と改めて思うのであった。
けれど、山の中で車は殆ど走ってないし眺めは良いし知らない道だし、楽しい散歩ではあった。
折角だから繁華街でぶらぶらしようと思って行っては見たが、結局そのままバスで帰ってきてしまったのだった。
あまり当てにならない万歩計によれば歩いた距離は8.95km。かかった時間は2時間。
こんなに歩いたんだから、ちっとは下りてきて欲しいものである。


1999/2/25(木)[38w0d] 健脚その後

今日も元気に散歩に出掛けたはいいのだが、昨日の遠出の影響で歩くのが辛い。別に筋肉痛と言う訳でもないし疲労がたまっている訳でもない。足の裏の皮が擦れて水ぶくれになっているのだった。こんな落とし穴があろうとは。
でも、歩いた甲斐あってか心なしか腹が下がっているような気がする。階段を昇る時に腹が足にぶつかるのはその所為ではないだろうか。まあしかし、気がするだけなので当てにはならない。
私の自分勝手な「とっとと産んでしまえ計画」によれば3月初めが予定なのである。
おや。って事は来週ではないか。あらびっくり。予定日通りでも再来週だ。いつの間にやらそんな時期に来ていたのだ。
心の準備は出来てないぞ。


1999/2/26(金)[38w1d] 母親学級

病院では月一回第4金曜日に妊娠後期の妊婦を対象に母親学級を行っている。
ちなみに第2金曜日には妊娠初期向けの母親学級があり、そう言えば保健所あたりでもマタニティ学級をやっている。重々承知はしていたのだが、結局私は全然行ってないのだった。
産休に入って暇になったら、今更ながら行ってみた方が良いのかと思いついた。それで前回の検診の時に看護婦に尋ねたら、ラマーズ講習と母親学級に出るよう言われたのであった。
私も呆けである。その時にちゃんと両方の予約をしておけば良かったのに、母親学級の方は忘れていたのだ。昨日になって気付いて慌てて電話した。
「あの〜、明日の母親学級の予約って今からで間に合いますか?」
「あいにく定員が一杯なんですよねー。...予定日はいつでしょう?」
「3月11日なんです。」
「....それじゃ、来月じゃ間に合いませんねえ。わかりました。入れておきますから明日来てください。」
そんな訳で今日は母親学級に出掛けたのであった
妊婦が20人も集まるとなかなか壮観である。対象が妊娠7ヶ月以降の妊婦だけにみんな腹がでかい。自分の事は棚に上げて異様な眺めだよなあと思うのであった。
内容は栄養士による妊娠中毒症の話と、医者による妊娠後期に気をつけること、後はビデオを見ながら妊婦体操と呼吸法。
呼吸法ではついにあの「ひっひっふー」にめぐり合ったのだった。いやいや、こんな処でやるのであったか。他にも「ふーふー」だの「ひーふー」だの「ふーうん」だのという呼吸法をやっていたのだが、使い分けも良くわからないしラマーズ講習では言われなかったから、気にしない事に決めたのだった。
母親学級後には、希望者のみ人形を使った沐浴実習を行った。
「背中を洗う時には顔がお湯につからないよう気をつけてね」と言われたそばから、頭を湯に突っ込みそうになったのは私である。なかなか前途多難なようだ。


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