「長崎駅(ナガサキ・レディ)殺人事件」 西村京太郎(1991)
光文社 ISBN4-334-02936-1
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スコットランド・ヤードの元警部で今は作家のミスター・ヘイズが、取材の為にノブコ夫人と共に長崎にやってくるのである。 建て替え前の長崎駅について、なかなか詳しく書かれている。長崎の人なら情景を思い浮かべて読めるのではないだろうか。 ところで、英国人が小説の取材のために長崎に来て、折角10月8日に着くんだったら、オランダ村なんか行かないでおくんち見たほうが参考になると思うけどなあ。長崎出身のノブコ夫人はそう思わなかったんだろうか? 関係ないけど、何故「長崎駅殺人事件」なんだろう? (1999.7.22)
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「雲仙・長崎殺意の旅」 西村京太郎(1994)
角川文庫 ISBN4-04-152749-X
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タイトルに地名を入れたいが為に殺人現場を長崎にしてみた、というのが非常に判る作品である。長崎が出てくるのは全部で約300ページの80ページ目まで。なので、ケチをつけるのもなんなんだが、折角読んだので重箱の隅をつついてみるのだ。(長崎に詳しくない人は地図を参照) タクシー運転手の青木さんが長崎駅で客を乗せるのである。 ショルダーバッグを下げて、青木のタクシーに乗り込んで来た中年の男は、そうそう、「雲仙の温泉と普賢岳」は離れてる。でも、それよりもっと長崎と雲仙は離れてると思う。長崎駅から雲仙までタクシー…、一体いくらかかるんだろう。2〜3万円はするよなあ。 「今日、初めて」って、雲仙までタクシーに乗ろうなんて言う人は毎日毎日そんなにいるんでしょうか。 「運転手さんは、この土地の人?」一体何でまた、普賢岳の麓にお住まいの人がわざわざ長崎駅で客待ちしてるんでしょう?通勤、大変じゃないですか? あと、この本によればハウステンボスは「いろいろ、楽しい乗り物なんかある」ところなんだそうである。 船やバス・タクシーが「楽しい乗り物」というのであれば確かに仰せの通りなんであるが、どうも違和感を否めない。あ、そう言えばメリーゴーランドがあったっけ?でも「いろいろ」は言い過ぎじゃないかなあ。 その前に 長崎県内のハウステンボスは、東京のディズニーランドと似ているが、その中に、ホテルもある。という記述があるだけに、ものすごく誤解を招きそうだと思うのであった。 (1999.7.22)
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「長崎殺人物語」 山村美紗(1991)
徳間ノベルス ISBN4-19-154641-4
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「どこかで、ちゃんぽんを食べましょうか。どこのレストランでもちゃんぽんや皿うどんは出るのよ」どこのレストランでも、というのはちょっと言い過ぎではなかろうか。それに「レストラン」でチャンポンはあるかなあ…。あ、観光客向けお好み食堂っぽいレストランならあるかな。 いや、それよりも折角京都からはるばる長崎にやってきた友人であるのならば、新地(中華街)へ連れて行ってやるのが歓迎と言うものではないのか? そんな事だから、その後冬子が四海楼とおぼしき所に連れて行かれた時に 「あら、ここは中華料理のお店でしょう?私、チャンポンでいいのに」なんてことを言うことになるのである。因みに四海楼というのはグラバー園近くにあるチャンポンの発祥地といわれる店である。 むむ、それともこれは「東京の高校と大学を出た後、父の転任で長崎に来た」「長崎には、あまり友人や知人がいない」という百合子像を浮き彫りにするためのテクニックなのか? はたまた、百合子は冬子をあんまり友人として大切に思っていないということなのか? なかなか長崎の事物に関する薀蓄は詳しく書いてある。おくんちや聖福寺、富貴楼など、行く先々で百合子が解説しているからである。言葉が足りない、と思う部分も数々あるがそれはまあ、観光ガイドでない以上は仕方のないところであろう。(おくんちについては、本物じゃなくてくんち資料館で見たんでしょ、と思ったけど。) が、時々、それはないんでないかいというような説明が出てくるのである。 「皿うどんと言うのは、福建料理の炒肉糸麺をモデルにした焼きうどんなの。チャンポンと同じように、魚介類と野菜を炒めたあと太い麺を入れて焼く感じでいため、スープを入れて、汁がなくなるほどいためるの。細麺は、ぱりぱりになるまでいためて、片栗粉のとろみをつけて出すの」この説明じゃあ、冬子が家で皿うどん作りに成功する事はないだろうと思う私であった。 (1999.7.22)
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